ご案内お知らせ短編連載「マスカレイド」書評動画
自作小説(短編中心)と書評(というか感想文)。 ジャンルはミステリィが主体です。
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2007.06.10 Sun
 ――母の夢を見た。
 ふいに意識が浮かび上がって、あっという間に幻は消えた。思い出そうとするが、殆ど何も残ってはいなかった。ただ、母の夢を見たということだけは、覚えている。母。私の奥底にはいつも母がいる。
 ――お前は恵美に抱かれたそうだな。
 はっとして、私は急に覚醒した。そうだ、ここは真山の家。
 私は体を起こさないまま、腕だけを伸ばして枕元に置いた腕時計を確認する。午前三時十五分。
 今夜は眠れまいと思っていたのだが、あっさり意識を手放していたようだ。意外と私の精神はタフらしい。それとも、緊張の糸が切れたのか。
 眠りは浅かった、と思うのだが。
 そういえば何故目を覚ましたのだろう。まだ夜明けには程遠いが……、
 ――笛の音だ。
 ぼうとした和笛の旋律。
 私は起き上がり、耳を澄ます。外からか。
 立ち上がり、窓の外を覗く。窓枠に掛けた指先が冷たい。
 雪は既に止んでいた。やはり少し積もったようだ。
 直感的に、私は能舞台の方に目を向ける。
 鈍い金色が視界に入った。あれは……能装束?
 舞台の上を、舞うというより足踏みをするように回る人物がいた。
 笛の音に合わせて、たん、たん。
 何処か厳格ささえ漂わせて、一歩ずつ歩いていく。
 ――ぐるり。
 こちらを向いたその顔を見て、私は呻いた。
 ――翁面。
 勝春。私の父……。
 気が付くと私は震えていた。
 翁の舞は、決して激しい動きを伴わない。にもかかわらず、足を踏み下ろす度に迫力を感じる。たん、たん。ふ、と翁が身を翻し、真っ白で長い顎鬚が踊る。たん、たん。
 畏怖。私は畏怖に震えているのだ。
 翁の舞にはエピソードが無い。翁は能にして能に非ずと言われる所以である。
 だから単調だ。その舞には起伏が無い。だが……、
 たん、たん。
 私は目を離せない。翁。勝春。
 闇の中、その舞だけが神々しく照らされている。
 たん、たん。
 ――どれだけの間、そうしていたのだろう。
 気が遠くなるような長い時間が経ったように思われた。笛の音は止み、舞を終えた翁は面を外さずに舞台から粛々と退場した。拍手もない。ひょっとしたら観客は私だけだったかもしれない。
 何だったのだ。今のは。
 混乱し、しばらくそのまま誰もいなくなった舞台を眺めていた。
 照明は落とされ、笛の音も消えたその景色は静かだった。
 私はまだ震えている。窓から伝わってくる冷気のせいかもしれない。けれどベッドに戻る気にはなれなかった。私は部屋の隅に移動して、膝を抱えた。子供のように。そしてまだ長い夜を覚悟する。
 ――今度ばかりは、眠れはしまい。
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