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自作小説(短編中心)と書評(というか感想文)。 ジャンルはミステリィが主体です。
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2007.06.19 Tue
平穏な港町を、突如ペストの脅威が襲った。封鎖された町の中、響き渡る死の足音。人々は事件に対してどう振舞い、どう変わっていったのか。医師は事件を記録する――せめて思い出だけでも残しておくために。

古典です。
カミュは小説を四編しか書かなかったらしい。本作はその貴重な一編というわけです。カミュを世界的に有名にしたのも本作だとか。

それぞれドラマを持った登場人物が、ペストという「不条理」に自分なりの哲学をもって取り組んでいきます。事件の経過は簡潔な文体で訥々と語られ、エンタテインメントを意識したような誇張は一切ありません。
じゃあ小難しい思想書のような代物なのか、というと、そうではない。作中の人物の台詞に、「人間は観念じゃないですよ」とある通り、作中の世界はリアルに描き出されています。ストーリィの展開は起承転結が明確で、劇的なシーンも数多く挿入されています。ただ、やり過ぎていない。

本文の内容は、ここでは余り深く考察しません。
私は文学畑の人間ではないので、偉ぶったことは言いたくないですし。
それより何より、新潮文庫版の解説(宮崎嶺雄)が極めて的を得ているように思えるので、今更私が言えることなんて殆ど何も無いのです。

だから一点だけ。
本作は実験小説としての意味合いを持っています。
悲劇的な状況を設定して、そこに幾つかの異なったベクトルを持つ人間を配置する。そして、彼らが何を考え、どう動くかをシミュレートする。
小説の創作って、常にそういう側面を持っているものですが、本作は特に顕著です。
そこで思ったのが、これってギリシア悲劇の手法なんじゃないか、ということ。
そもそも悲劇というのは、圧倒的な困難の中で人はどう生きるのかという問題を掘り下げるために考案されたもので、実験的な要素を含んでいるのです(と大学の教養の講義で聞きました)。
カミュはもともと演劇出身で、戯曲も何本か書いています。ギリシア悲劇のエッセンスを、彼が引き継いでいてもおかしくは無い。――などと考えました。
そうだとしたなら、やっぱりギリシアで全ての文化は完成されていた、という例の主張は正しいのかもしれないなあ、なんて。
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